東京出張所が無くなった件
次女の辞職により昨年秋に我が家に戻ってきました。
あれだけ決心をして上京した次女は実は昨年に実家に帰ってきてました。
次女の就職先はデリバリー専門の業態で食品関係の学科を卒業していたので、コロナ禍の就職難の状況の中、やむなく決まった唯一の食品関係であるその会社に就職をしていました。
配属はデリバリーのみの店舗で当然バイクで配達です。
次女はもともと大人しい性格だったので、体育会系のノリの体力が資本のような感じの会社では難しいと親は心配していたので、予想通りだったと思いました。
現在は職業訓練校に通いリハビリ中です。
そして長女も戻ってきました。
あれだけお別れ会をした長女も実は昨年末に実家に戻ってきました。
アパレル職から営業職に行くことについてとても心配していたのですが、次女が帰ってしまったので、勢いがついたのでしょうか?
長女が就職した先は稀にみる昭和の会社で、コロナ禍の中でも飲み会盛んな会社のようでした。
(東京は感染者がとても多かったのですが・・・)
飲み会参加は必須で、仕事よりも飲み会第一という会社だったようです。
宴会の盛り上げ者=仕事の出来る人という現代ではナゾの人事考課が通る会社でした。でも福利厚生などは充実した会社だったようです。しかし本人曰く耐えられなかったのでしょう。
沢山揃えたお気に入りの色の家具や家電などを上手に処分をして、いつの間にか着々と準備をして帰ってきちゃったのでした。
結果子供部屋の人口密度・物の密度がMAX状態に。
一度実家を出て一式揃えて暮らしていた二人が次々に再度子供部屋に収まったので、荷物がえらい事になってしまいました。長女は反省して日々メルカリで処分をしている毎日ですが、一人怒っている人がいました。
末っ子さんです。しばらく一人っ子になって、悠々自適のスペースで暮らしていたのですがいきなり荷物に埋もれる毎日になってしまいました。
勝手にお姉ちゃんが出て行って勝手に戻ってきたので、ここは私の場所です。
お姉ちゃんは大人しくしてください。
正直正論ですが、現在は職業訓練校に通って出直し中なので、今しばらく我慢お願いします。
と思う毎日です。